先日、神戸市の神社の厄除祭にて、臨時巫女としてご奉仕してきました。
初めて巫女したのは、19歳だったかな、20歳かな。
もう10年近く毎年行ってる。時間の流れを感じます。
年に3日間だけですが、私の担当はお守りお札の授与所での接客です。
年齢・性別・国籍、様々な方が様々な思いで、参拝にいらっしゃります。
初めて巫女をした頃の自分は、接客どころか、人と会話もまともにできない女でした。
声も小さいし、常識も知らないし、気も回らない。
今思えば仕事になってたんやろか、と心配になります。
まだまだら28歳ですが、この歳になって、一回りとか下の子と一緒に仕事をしてると、あの頃とは違って自分も成長して色々見えるようになったなぁと改めて実感します。
その中で今年ピックアップしたい話題をひとつ。
まとまりない文章やし、
自分の記録がてらなので、興味のある方だけご覧ください(笑)
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今年の厄除祭で、1日目に目の不自由な方が、2日目に耳の不自由な方が参拝にいらっしゃった。
今までも、障がいを持った方がいらっしゃることはもちろんあった。
目の不自由な方は、白杖をついていた。
お守りがほしいとおっしゃったので、口頭で「○○のお守りは何色、何色、何色があって、大きさはこのくらいで…」と言葉で説明を。
お守りをお渡しした後、「うしろに段差があるから気をつけて」ということも、伝えることができた。
耳の不自由な方に話しかけられたときは、発音を聞いてわかった。
なので、私はマスクを外して口を見せてお話した。
その方は「耳が聞こえないんです。ありがとう」とおっしゃっていた。
私だけかもしれへんけど
学校では
「目の不自由な人は点字を使います」
「耳の不自由な人は手話を使います」
しか教わらなかった。
でも、大人になって、
目が不自由でも点字ができない人も居ることや、耳が不自由でも口話(相手の口の動きを読んで話を理解すること)ができる人も多いという知識が自分に入っていた。
だから、言葉で説明できたし、マスクを外すことを思いついた。
(もっと言えば、言葉で色を説明したけれど、もしかしたらこの人は色を見たことがないかもしれないな、不親切だったかな、とも思った。
じっくりお話しできる状況なら、色から思い浮かべるイメージを伝えてもよかったかもしれないね。)
私は、特別な資格や技能もないけれど、こうして少しの気遣いで作れるバリアフリーもあるんやね。
もちろん、手話や点字ができたら、より良いね。
バリアフリーとか障がいとかって
「難しい」「私にはそんなすごいことできない」という先入観を持たれがちやけど、そんなことない。
もっともっと身近な話やと思う。
私も、障がいがあるけど、それを知るまわりの人たちは、それぞれがその人なりの方法でたくさん支えてくださってる。
それ以前に、障がいの有無に関わらず、一人ひとりが相手の気持ちを想像することによって、人と人は助け合えるね。
「透明のリボン」も、そういう気持ちで作曲した。
あと、知識っていうのは、持っていて損はないね♪
いざという時に人のお役に立てるのであれば、これからも興味のあることだけでもたくさん頭に入れておこう。
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